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これは随分前に、ブログに記録として書いたものですが、こちらに改めて掲載してみます。

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英会話クラス

Aさんという男性はその当時60才近いか超えているかぐらいだったと思う。私のアルバイト先に外の仕事のアルバイトとして入ってこられた方だった。
そのアルバイト先のトップKさんはアメリカ生活を経験し英語を話すことができたが帰国し話す機会がない。そこで、英語を一緒に習おう、と言うことになった。私たちが選んだレッスン方法は、英語のクラスを作ることだった。アルバイト先に会議室がありそこに先生を呼びレッスンをする、というもので先生もアメリカから来ていた交換留学生に決まった。
すると、Aさんが
「年を取っていて失礼かもしれないが、仲間に入れてくれないか? 迷惑はかけない」
と言ってきた。実はAさんは外仕事といっても本当に仕事をしているかどうか怪しく、悪く言うと人生をあきらめ適当に時間をつぶしているだけのご老人に映り、私たちの間での評判は決して良くなかった。そんなAさんが英語?という驚きは隠せなかったが後に驚くことになる。

ジャシュというイケメンすぎる交換留学生が最初の先生だったが、アメリカンジョークが好きでクラスは楽しく始まった。

そこにAさんは時に笑顔を見せながら静かに座っていた。私は英語を習ったことがないが、ジャシュは日本語が話せない。だから英語の単語の説明が英語で
「日本語please」
と懇願した。Aさんが
「日本語を使わず英語で説明を聞いていれば上達が早い。」
と口を挟んだ。その説明を英語でスラスラとジャシュにし始めた時、この方の英語力を知った。

さらにジャシュが笑ってる。どうやらジョークを交わしているようだ。会話に入れない私は
「日本語please」
ジャシュが
「ノー。あなたもEnglish!!!」

そのレッスンは合計4クラスに成長した。もちろん、Aさんの英語力はいかんなく発揮され困った時には助け舟を出してくれた。毎回、仕事の時とは違う優しく、紳士的で、聡明さを見せるAさんを皆も認め始めた。
が、Aさんの英語力はどこから来るのか誰も知らない。

ジャシュは6か月の滞在の後アメリカに帰ることになった。お別れ会をしたときなぜかジャシュはAさんがどうやって英語を勉強したかを知っていた。さらに、
「自分が知っている中でも英語力はトップだ、アメリカ帰りの人より発音は分かりやすく、英語のジョークが言えるセンスもある。失礼だがあのご年齢でここまで話せる人は知らない。」
と言った。

Aさんの真実

実はAさんはかつて貿易の会社の社長だった。倒産し、豪邸を含めた全てを失い今は公団にご夫婦で住んでいるとのことだった。
「英語も話せないのにオーストラリアへ飛び現地で英語を学びながら仕事をしていた。辛い経験もあったが自力で英語を学び英語だけでビジネスをしていた。ジョークもビジネスに必要だったからね、随分上達したよ」
と話しながら、英語の辞書を私に手渡した。

「あなたが英語のクラスをやると言ったとき、あの頃のことを思い出しもう一度英語を話したいと思った。迷惑だっただろうに仲間に入れてくれたことを感謝している。これは自分が英語で苦労しているときに使っていた辞書だ。もう使わないから君に使ってほしい」
と添えられた言葉に返事ができなかった。

 

しばらくして、私が偶然にも、オーストラリアへ旅行することが決まった。Aさんは
「一つだけ願いを聞いてくれないか? シドニータイムズ(記憶あいまいで正確な名前ではない)という新聞を買ってきてほしい。何もいらない。ただその新聞があればいい」
と私に新聞代を手渡した。
が、私が行くのはケアンズだ。現地では習った英語を駆使し
「シドニータイムズ please」
と購入を試みる。
「What? ここはケアンズあるね」
さらに友人はハワイアンホストというチョコを買って来いという。
「ハワイアンホスト please」
「What?  ここはケアンズあるね」

………..だよね

何としてでも新聞を購入したいが、現地のツアーコンダクターに相談しても、輸送してくれるが私の滞在中の入手は難しい、と言われる。友人にはケアンズのチョコで我慢してもらったが、唯一、新聞だけを心残りにしてカンタス航空の飛行機のシートに座った。

 

すると座席の目の前のポケットに新聞がある。掃除が完全ではなかったのだろうか? 何気なく新聞を広げると
「The Sydney times」
「うそや!」
それも2日分!文字が光るのを始めてみた。

 

「What? ここはケアンズあるね」の下りを説明し、これしか手に入らなかったことを謝罪しながら新聞を手渡した。もちろん、Aさんは読み古した新聞を広げかなり喜んでくれた。

実は、Aさんが始めてシドニーに着いた時、この新聞の広告から住むところを探し、英語もこの新聞で学んだ。そんな思い出が沢山ある物だったのだ。まさかもう一度この新聞が読めるなんて、と言うAさん。古い新聞がこれほどまでに価値のあるものだと知って、この奇跡ともいえる出来事に感謝した。

 

 

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